永遠の名作「銀河鉄道999」について(勝手に)語るブログです。主に劇場版について(好き勝手に)触れています。
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「さよ銀」のラストで、鉄郎はメーテルと別れるとき、列車の最後尾からメーテルの名を力いっぱい叫びますね。その直後にカメラ目線になりますが、製作スタッフはどのような意図で、そのような演出にしたのか。私は存知ませんが、何度見ても(今は悲しすぎて見られないのですが)鉄郎にはドキっとします。この場面の鉄郎に色気のようなものを感じるのは、世界でも私だけですか? 私は同性愛者ではありませんが、カメラ目線の鉄郎を見て可愛いなぁと感じます。若い頃、たとえば高校時代に同い年くらいの女の子を見て感じた、あの感覚に似ているような気もします。どうなんでしょう、あの場面の鉄郎を女性からを見るといかがなんでしょうか。
さて、何度も書いたことで恐縮ですが、私が初めて「さよ銀」を見たのは、公開から遅れること8年、17歳のときでした。その当時、私はほぼ同い年だったせいか、鉄郎に感情移入して物語を見ていました。メーテルとの別れにしても、
「今は悲しいけど、鉄郎には未来があるんだ。夢に満ち溢れているんだ」
なんて、勝手に前向きに考えていたのです。我ながら浅はかでした。
そして今、鉄郎は私の半分以下の年齢です。二次小説を見渡しても、鉄郎はせいぜい20代の若者です。相手は創作上の人物ですから当たり前なのですが、怖い話ですね。
「パタリロ!」の作者、魔夜峰央さんが、白石冬美さん(パタリロ役)との対談で似たようなことを言っています。同作の主要人物にバンコランという27歳の男がいます。魔夜さんは当初、年上の人物として描いていたそうです。それが同い年になり、あっという間に年下になってしまった。時のたつのは早いものですが、恐ろしいですねぇ。
話が逸れました。
かつて同い年だった鉄郎は、すっかり年下になりました。かつては「仲間だったらいいかもしれない」などと考えていましたが、弟とも呼べる年齢差でもなくました。叔父と甥、下手をしたら親子かもしれません。そう、息子か新入社員といった存在ですね。
そのせいか、「さよ銀」のパルチザンの気持ちがわかるような気になってきました。戦場はないにしても、鉄郎のような後輩が会社にいたらいいでしょうねぇ。私は滅多に人の世話をしませんが、鉄郎には良くしたいと思うでしょう。熱心に指導したり解説して、鬱陶しいと思われるに違いありません。鉄郎はそういう雰囲気を持った少年なのかもしれません。
だからでしょうか、惑星タイタンで、大山摂子(でしたっけ?)から戦士の銃を譲られていますよね。大山トチローが作った、宇宙に4~5丁(作品によって違いがあるらしい)しかない貴重なものですよね。しかも、摂子からすれば、息子が残していった大切なものです。出会って間もない、どこの馬の骨ともしれない少年に、普通は渡さないですよね。これも鉄郎だからですよね……銃を渡したのは、そうしないと物語にならないからって? それを言ってはおしまいです。
最後に、20年後、私が還暦を迎えられたら(生きているという保証はどこにもありませんので)、もう一度999を見たいと思います。おそらく、ヘビーメルダーの酒場のジイさんの気持ちがわかることでしょう。また、「さよ銀」のパルチザンのじいさん(森山周一郎さん)も身近に感じることでしょう。
これでとりあえず、還暦まで生きていようと思えます。
さて、何度も書いたことで恐縮ですが、私が初めて「さよ銀」を見たのは、公開から遅れること8年、17歳のときでした。その当時、私はほぼ同い年だったせいか、鉄郎に感情移入して物語を見ていました。メーテルとの別れにしても、
「今は悲しいけど、鉄郎には未来があるんだ。夢に満ち溢れているんだ」
なんて、勝手に前向きに考えていたのです。我ながら浅はかでした。
そして今、鉄郎は私の半分以下の年齢です。二次小説を見渡しても、鉄郎はせいぜい20代の若者です。相手は創作上の人物ですから当たり前なのですが、怖い話ですね。
「パタリロ!」の作者、魔夜峰央さんが、白石冬美さん(パタリロ役)との対談で似たようなことを言っています。同作の主要人物にバンコランという27歳の男がいます。魔夜さんは当初、年上の人物として描いていたそうです。それが同い年になり、あっという間に年下になってしまった。時のたつのは早いものですが、恐ろしいですねぇ。
話が逸れました。
かつて同い年だった鉄郎は、すっかり年下になりました。かつては「仲間だったらいいかもしれない」などと考えていましたが、弟とも呼べる年齢差でもなくました。叔父と甥、下手をしたら親子かもしれません。そう、息子か新入社員といった存在ですね。
そのせいか、「さよ銀」のパルチザンの気持ちがわかるような気になってきました。戦場はないにしても、鉄郎のような後輩が会社にいたらいいでしょうねぇ。私は滅多に人の世話をしませんが、鉄郎には良くしたいと思うでしょう。熱心に指導したり解説して、鬱陶しいと思われるに違いありません。鉄郎はそういう雰囲気を持った少年なのかもしれません。
だからでしょうか、惑星タイタンで、大山摂子(でしたっけ?)から戦士の銃を譲られていますよね。大山トチローが作った、宇宙に4~5丁(作品によって違いがあるらしい)しかない貴重なものですよね。しかも、摂子からすれば、息子が残していった大切なものです。出会って間もない、どこの馬の骨ともしれない少年に、普通は渡さないですよね。これも鉄郎だからですよね……銃を渡したのは、そうしないと物語にならないからって? それを言ってはおしまいです。
最後に、20年後、私が還暦を迎えられたら(生きているという保証はどこにもありませんので)、もう一度999を見たいと思います。おそらく、ヘビーメルダーの酒場のジイさんの気持ちがわかることでしょう。また、「さよ銀」のパルチザンのじいさん(森山周一郎さん)も身近に感じることでしょう。
これでとりあえず、還暦まで生きていようと思えます。
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今日は(今日も?)ちょっとふざけてみました。
「こんな999キャラは困る」という内容です。もしこんなキャラがいたら、困るしイヤでしょうね。
【メーテル編】
「日焼けサロンに通っている」
ガングロ・メーテルはメーテルといえるのか?
「自分の洗濯物を鉄郎に洗わせる」
洗濯物ってどうしていたんでしょうね。「さよ銀」で、車掌さんは鉄郎を強引に入浴させて「服はクリーニングしておく」なんて言っていますよね。列車のどこかにコインランドリーのようなものがあるのでしょうか。
「いつも半目を開けて眠る」
いますよね、そういう人。私もその一人です。学生時代、気持ち悪いと皆から言われました。
「酔うと、エメラルダスとどちらが美人なのかをしつこく質問する」
まあ、メーテルは簡単には酔わないようですが。
【ハーロック編】
「病的なほど船酔いがひどい」
宇宙海賊なのに……。指揮は「友」に任せきりってか?
「趣味は盆栽」
他にも、侘び寂びを愛したり、写経にいそしむハーロック。想像できない。
【車掌さん編】
「靴下だけは履いている」
「さよ銀」ラスト近くで、車掌さんが服を脱いで見せますよね。透明人間みたいなわけですが、上着の下には何も身につけていないのですね。セーターもシャツも何も着ていないの? ということはパンツもなし? でも、靴下だけは履いているような気がします。
【エメラルダス編】
「腹を抱えて笑い転げる」
これはハーロックやメーテルにしてもそうですが、ちょっとイメージしにくいですよね。
「カラオケでマイクを離さない。十八番は『日本全国酒飲み音頭』」
ご存知ですか、この歌。一月は正月で酒が飲めるぞ~というやつです。
【プロメシューム編】
「何かと雪野弥生のときの写真を見せたがる」
確かにきれいな人でしたからね、雪野弥生。潘杏蘭さんの声もいいですねぇ。潘さん、「ふしぎの島のフローネ」で主題歌を歌っておられましたが、美声でした。
また、かつて「演歌の花道」という番組があって、ナレーターは来宮良子さんでした。味のあるナレーションなのですが、プロメシュームが喋っているようで変な気分になりました。
【その他】
「戦士の銃、レンタル開始」
DVDじゃないんだから。でも、一度は触れてみたいし撃ってみたい。レンタルできるなら真先に借りたいなぁ。問題はどこで試射するかですね。
私は銃を撃ったことはないのですが、本物の自動小銃を持ったことはあります。予想よりは軽いものでした。装弾したら重いのかもしれませんが。
鉄郎編がないのはなぜか。
鉄郎だけは茶化す気にはなれんのですよ。いえね、最近まで鉄郎に女性ファンがいることを知りませんでした。というより、考えたことがなかったのです。そんなわけで、なんというのか、鉄郎をネタにすると後が怖いような気がしまして。それに最近、鉄郎には他と違う感情がありまして。詳しくはまたの機会に。
「こんな999キャラは困る」という内容です。もしこんなキャラがいたら、困るしイヤでしょうね。
【メーテル編】
「日焼けサロンに通っている」
ガングロ・メーテルはメーテルといえるのか?
「自分の洗濯物を鉄郎に洗わせる」
洗濯物ってどうしていたんでしょうね。「さよ銀」で、車掌さんは鉄郎を強引に入浴させて「服はクリーニングしておく」なんて言っていますよね。列車のどこかにコインランドリーのようなものがあるのでしょうか。
「いつも半目を開けて眠る」
いますよね、そういう人。私もその一人です。学生時代、気持ち悪いと皆から言われました。
「酔うと、エメラルダスとどちらが美人なのかをしつこく質問する」
まあ、メーテルは簡単には酔わないようですが。
【ハーロック編】
「病的なほど船酔いがひどい」
宇宙海賊なのに……。指揮は「友」に任せきりってか?
「趣味は盆栽」
他にも、侘び寂びを愛したり、写経にいそしむハーロック。想像できない。
【車掌さん編】
「靴下だけは履いている」
「さよ銀」ラスト近くで、車掌さんが服を脱いで見せますよね。透明人間みたいなわけですが、上着の下には何も身につけていないのですね。セーターもシャツも何も着ていないの? ということはパンツもなし? でも、靴下だけは履いているような気がします。
【エメラルダス編】
「腹を抱えて笑い転げる」
これはハーロックやメーテルにしてもそうですが、ちょっとイメージしにくいですよね。
「カラオケでマイクを離さない。十八番は『日本全国酒飲み音頭』」
ご存知ですか、この歌。一月は正月で酒が飲めるぞ~というやつです。
【プロメシューム編】
「何かと雪野弥生のときの写真を見せたがる」
確かにきれいな人でしたからね、雪野弥生。潘杏蘭さんの声もいいですねぇ。潘さん、「ふしぎの島のフローネ」で主題歌を歌っておられましたが、美声でした。
また、かつて「演歌の花道」という番組があって、ナレーターは来宮良子さんでした。味のあるナレーションなのですが、プロメシュームが喋っているようで変な気分になりました。
【その他】
「戦士の銃、レンタル開始」
DVDじゃないんだから。でも、一度は触れてみたいし撃ってみたい。レンタルできるなら真先に借りたいなぁ。問題はどこで試射するかですね。
私は銃を撃ったことはないのですが、本物の自動小銃を持ったことはあります。予想よりは軽いものでした。装弾したら重いのかもしれませんが。
鉄郎編がないのはなぜか。
鉄郎だけは茶化す気にはなれんのですよ。いえね、最近まで鉄郎に女性ファンがいることを知りませんでした。というより、考えたことがなかったのです。そんなわけで、なんというのか、鉄郎をネタにすると後が怖いような気がしまして。それに最近、鉄郎には他と違う感情がありまして。詳しくはまたの機会に。
皆様、いかがお過ごしでしょうか。
人は「萌え」だけでは生きていけないなどと申します。
そこで、当ブログの、妄想発表会はいかがでしょうか。
斜光不安、いい気分。
書いててよかった。
(セブンイレブンのCMのパロディです。そのCM、おそらく四半世紀前に放映されました。中西龍さんのナレーションでした)
-食事中の二人。
鉄「メーテル、食欲ないの?」
メ「そんなことないわ」
鉄「全然食べてないじゃないか」
メ「お腹がね、いっぱいな感じなの」
鉄「?」
メ「あなたと過ごしているから、きっとお腹も心も満足なのよ」
すいません、必死に笑いをこらえております。おかしいのではなく、恥ずかしいし照れくさいのです。
さて、どうなんでしょう。メーテルはこういうことを言うのでしょうか。たぶん言わないでしょうが、言わせてみたいなぁ。言わぬなら、言わせてみてよ、鉄郎君。
鉄「メーテル、俺のこと好き?」
メ「どうしたの、突然」
鉄「だって、メーテルはそういうこと、全然言ってくれないじゃないか」
メ「だって恥ずかしいもの」
鉄「言ってくれよ」
メ「やっぱり恥ずかしいわ」
鉄「俺、好き、じゃないんだ」
メ「え?」
鉄「大好きだよ、メーテル」
も~バカですね、私。こんなオヤジがこんな妄想をするなんて、世の中狂ってますね。
ところで、加山雄三さんの「君といつまでも」という名曲がありますね。私は勝手に、あの歌を鉄郎とメーテルのものと思い込んで拝聴しています。君を離さないぞ、なんて鉄郎に言ってほしいなぁ。やはり狂ってますね、私。
メ「おはよう、鉄郎」
鉄「ああ」
メ「どうしたの?」
鉄「夢を見た」
メ「どんな?」
鉄「君が、またいなくなっちゃんうだ。列車に乗って」
メ「鉄郎、私はもう、どこにもいかない」
で、このあとギュっと抱き合うんでしょうね。いつまでも、強くギュっと。
いいなぁ。鉄郎くん、君の方こそ、絶対にメーテルを離してはいかんよ。メーテルが幸せになるには、誰がなんと言おうと君が必要なんだってば。
先日当ブログで、「20年振りにさよ銀を見た」と書きましたが、ひとつ白状します。ラストシーンを見ることはできませんでした。ラスト近く、メーテルが999に乗車してない! と鉄郎が気づいたところで限界が来ました。
ブルーレイを取り出した後も精神的な衝撃は消えず、回復させるためにミッチさんの小説を何度か読みました。助かりました。もしショートストーリー2がなかったら、私は入院していたことでしょう(笑)。
皆様も気をつけてくださいね(笑)。
人は「萌え」だけでは生きていけないなどと申します。
そこで、当ブログの、妄想発表会はいかがでしょうか。
斜光不安、いい気分。
書いててよかった。
(セブンイレブンのCMのパロディです。そのCM、おそらく四半世紀前に放映されました。中西龍さんのナレーションでした)
-食事中の二人。
鉄「メーテル、食欲ないの?」
メ「そんなことないわ」
鉄「全然食べてないじゃないか」
メ「お腹がね、いっぱいな感じなの」
鉄「?」
メ「あなたと過ごしているから、きっとお腹も心も満足なのよ」
すいません、必死に笑いをこらえております。おかしいのではなく、恥ずかしいし照れくさいのです。
さて、どうなんでしょう。メーテルはこういうことを言うのでしょうか。たぶん言わないでしょうが、言わせてみたいなぁ。言わぬなら、言わせてみてよ、鉄郎君。
鉄「メーテル、俺のこと好き?」
メ「どうしたの、突然」
鉄「だって、メーテルはそういうこと、全然言ってくれないじゃないか」
メ「だって恥ずかしいもの」
鉄「言ってくれよ」
メ「やっぱり恥ずかしいわ」
鉄「俺、好き、じゃないんだ」
メ「え?」
鉄「大好きだよ、メーテル」
も~バカですね、私。こんなオヤジがこんな妄想をするなんて、世の中狂ってますね。
ところで、加山雄三さんの「君といつまでも」という名曲がありますね。私は勝手に、あの歌を鉄郎とメーテルのものと思い込んで拝聴しています。君を離さないぞ、なんて鉄郎に言ってほしいなぁ。やはり狂ってますね、私。
メ「おはよう、鉄郎」
鉄「ああ」
メ「どうしたの?」
鉄「夢を見た」
メ「どんな?」
鉄「君が、またいなくなっちゃんうだ。列車に乗って」
メ「鉄郎、私はもう、どこにもいかない」
で、このあとギュっと抱き合うんでしょうね。いつまでも、強くギュっと。
いいなぁ。鉄郎くん、君の方こそ、絶対にメーテルを離してはいかんよ。メーテルが幸せになるには、誰がなんと言おうと君が必要なんだってば。
先日当ブログで、「20年振りにさよ銀を見た」と書きましたが、ひとつ白状します。ラストシーンを見ることはできませんでした。ラスト近く、メーテルが999に乗車してない! と鉄郎が気づいたところで限界が来ました。
ブルーレイを取り出した後も精神的な衝撃は消えず、回復させるためにミッチさんの小説を何度か読みました。助かりました。もしショートストーリー2がなかったら、私は入院していたことでしょう(笑)。
皆様も気をつけてくださいね(笑)。
20年振りに「さよなら銀河鉄道999」をみました。
まったく色あせてないですね。それどころか、ますます素晴らしいと感じます。ここで、高校時代の校長先生の言葉を思い出しました。
「吉田兼好の徒然草、君たちが今読んでもいい作品だと感じるだろう。四十を過ぎてから読むと、また違った感じがするはずだよ」
校長先生は国語の先生でした。かつての教え子たちが、口を揃えて言うのだそうです。
私にとって、これと同じことが999で起きています。私が本当に999に狂いだしたのは高校からなのですが、今、当時とは明らかに違った感慨を持っています。今日はそのうちの一つを書きます。
さて、「さよ銀」は、いきなり戦場からスタートしますね。鉄郎がパルチザンとなっている。よくわからないが、かなり劣勢。映画開始当初、仲間は数十人はいたようですが、戦闘があって5人くらいになる。
若桜木虔さんの小説版「さよなら銀河鉄道999」には、このあたりのことが生々しく描かれています。そうそう、以前当ブログにて、「若桜木さんの小説版さよ銀は、読む価値はあまりない」などと申し上げましたが、ここに訂正します。パルチザンたちの息遣いが聞こえてきそうな描写となっており、鉄郎の命も風前の灯だったんだということが、映画よりもはっきりわかります。鉄郎たちは、かなり追い詰められていたんだと感じました。だから、あのメッセージカードが届いていないか、届くのがもう少し遅かったら、鉄郎は死んでいたでしょう。
さて、少年の頃……って、私が少年の頃ですよ、私にも少年時代があったんですよ。ともかく、本格的に999にハマった頃、私は鉄郎とほぼ同い年でした。当然というか鉄郎目線で物語を見ていたのですが、いくつか理解できない点がありました。
「オヤジたちは、どうして自分の命を捨ててまでして、鉄郎を駅に送り届けてくれたのか」
映画ではそれが心に染みるというか、鉄郎を応援するような雰囲気になっていますね。それはそれで好きだし、いいなぁと思う。でも、自分の、他の誰でもない自分の命を捨てまでして、実の息子でもない少年のために行動できるのだろうか。当然のことながら、批判する気はありません。ただ、実際にこういう場面になった場合、どうなるんだろう? という素朴な疑問です。
今、四十歳を目前にして、オヤジたちの心境がなんとなく理解できるような気分です。もし自分がオヤジの一人としてあの場にいたら、おそらく、いや、間違いなく鉄郎のために銃を手に走るでしょう。
オヤジの一人、森山周一郎さん演じる「じいさん」は「若いというのはいいもんだ。わずかな可能性でも、それにすべてをかけることができる」というようなことを言いますね。そうなんですよね、鉄郎は若者そのもの。それを見せ付けられたら、オジサンは応援したくなりますよ。俺にもお前みたいな時代があった。夢と希望にあふれ、負けることなど考えず、ひたすらに前を見ていた。いいな、お前は若いな。なんてね。
昔はよかった、なんていうセリフは嫌いですが、若いときは確かによかった。悩みがあっても必ずそれを乗り越えるんだという気概があったし、自分が負けるなんてまったく考えませんでした。今はまた違う心持ちになっていて、それはそれでいいと思っていますが、要するにトシくったんですね。
それはともかく、還暦を迎える頃、再び999を見たらどう感じるでしょう?
楽しみです。これでまた、生きていこうって思えます。
まったく色あせてないですね。それどころか、ますます素晴らしいと感じます。ここで、高校時代の校長先生の言葉を思い出しました。
「吉田兼好の徒然草、君たちが今読んでもいい作品だと感じるだろう。四十を過ぎてから読むと、また違った感じがするはずだよ」
校長先生は国語の先生でした。かつての教え子たちが、口を揃えて言うのだそうです。
私にとって、これと同じことが999で起きています。私が本当に999に狂いだしたのは高校からなのですが、今、当時とは明らかに違った感慨を持っています。今日はそのうちの一つを書きます。
さて、「さよ銀」は、いきなり戦場からスタートしますね。鉄郎がパルチザンとなっている。よくわからないが、かなり劣勢。映画開始当初、仲間は数十人はいたようですが、戦闘があって5人くらいになる。
若桜木虔さんの小説版「さよなら銀河鉄道999」には、このあたりのことが生々しく描かれています。そうそう、以前当ブログにて、「若桜木さんの小説版さよ銀は、読む価値はあまりない」などと申し上げましたが、ここに訂正します。パルチザンたちの息遣いが聞こえてきそうな描写となっており、鉄郎の命も風前の灯だったんだということが、映画よりもはっきりわかります。鉄郎たちは、かなり追い詰められていたんだと感じました。だから、あのメッセージカードが届いていないか、届くのがもう少し遅かったら、鉄郎は死んでいたでしょう。
さて、少年の頃……って、私が少年の頃ですよ、私にも少年時代があったんですよ。ともかく、本格的に999にハマった頃、私は鉄郎とほぼ同い年でした。当然というか鉄郎目線で物語を見ていたのですが、いくつか理解できない点がありました。
「オヤジたちは、どうして自分の命を捨ててまでして、鉄郎を駅に送り届けてくれたのか」
映画ではそれが心に染みるというか、鉄郎を応援するような雰囲気になっていますね。それはそれで好きだし、いいなぁと思う。でも、自分の、他の誰でもない自分の命を捨てまでして、実の息子でもない少年のために行動できるのだろうか。当然のことながら、批判する気はありません。ただ、実際にこういう場面になった場合、どうなるんだろう? という素朴な疑問です。
今、四十歳を目前にして、オヤジたちの心境がなんとなく理解できるような気分です。もし自分がオヤジの一人としてあの場にいたら、おそらく、いや、間違いなく鉄郎のために銃を手に走るでしょう。
オヤジの一人、森山周一郎さん演じる「じいさん」は「若いというのはいいもんだ。わずかな可能性でも、それにすべてをかけることができる」というようなことを言いますね。そうなんですよね、鉄郎は若者そのもの。それを見せ付けられたら、オジサンは応援したくなりますよ。俺にもお前みたいな時代があった。夢と希望にあふれ、負けることなど考えず、ひたすらに前を見ていた。いいな、お前は若いな。なんてね。
昔はよかった、なんていうセリフは嫌いですが、若いときは確かによかった。悩みがあっても必ずそれを乗り越えるんだという気概があったし、自分が負けるなんてまったく考えませんでした。今はまた違う心持ちになっていて、それはそれでいいと思っていますが、要するにトシくったんですね。
それはともかく、還暦を迎える頃、再び999を見たらどう感じるでしょう?
楽しみです。これでまた、生きていこうって思えます。
「尊敬する人は父です」
そんな若者(男)っていますね。
確かに、父親に学ぶことは多いし、特に大人になってみてはじめて、その気持ちがわかったりしますね。あのときオヤジはこうだったのか、なんてね。男が大人になる醍醐味の一つは、父親を理解できることだと私は思います。
しかしですね、尊敬するなんて馬鹿ですね。男に生まれた意味も無ければ、価値も無い人のやることです。そんな大人しくて、良い子で、平和にどっぷり漬かっている男を見ると、吐き気がします。すぐさま無人島に行って、隠遁生活を送る方がお似合いです。
男にとって父とは、尊敬すべき対象ではありませんし、あってはいけません。まあ、父親が長嶋茂雄だとか、アルベルト・アインシュタインだというなら話は別です。
普通の男にとって、父親とは超えていくべき存在です。それが仕事なのか、「男」としての姿なのか、それは人それぞれでしょうが、最初の目標となるべきものではないでしょうか。それを「尊敬」などと言ってしまったら、そこで終わってしまいます。
その極端な例は、劇場版999・2作目の鉄郎です。
物語の終盤で、鉄郎は黒騎士・ファウスト(父親)と999の屋根上で戦うわけです。実際に銃を使っていたわけですから、まさに真剣勝負です。映画では鉄郎が辛くも(と、私は感じます)勝利していますが、少し状況が違えばファウストが勝っていた、いえ、その確率の方が高かったのでしょう。あれはミャウダーに助けられたようなものですね。
しかし、とにもかくにも、鉄郎は勝ちました。父親を超え、その後メーテルとの悲しい別れがあって、彼は大人になっていくわけです。これぞ「男」の姿だと、私は信じます。
こんなことを言うのも、だらしない男が多するからです。心の底から情けない。
いいですか、男のあるべき姿はエステで磨くものではないし、着飾ることではないのです。いえ、それが悪いと言っているのではない。男がきれいになるのは良いことなのでしょうが、茹でたほうれん草のように萎えた男が多すぎると言っているのです。心の真ん中に芯が通った、強い信念の持ち主が理想だ、と言ったら笑われるでしょうか。
ここで勘違いしていただきたくないのですが、強い男とは乱暴者ではありません。声が大きいとか、腕力の強さが男ではありません。鉄郎やハーロック、トチローのように、強くて優しいのが男と呼ぶのにふさわしい。男の腕力は、弱い者を守るためにあるのです。それを弱い者に向ける愚か者がなんと多いことか。情けないにもほどがある。
などと、今回はやたらと意気込んでいます。理由は2つあって、1つは最近の韓流ブーム(?)です。
詳しいことは知りませんが、あちらの若い男優、男気が出ていていいですね。俳優ですからお顔や服装はきれいにしていますが、どこか男の匂いがします。日本の若い俳優はきれなだけという感じがするのですが、いかがでしょうか? かつての千葉真一さんや夏八木勲さんのような、男を感じさせる人が減りましたよね? だから韓流スターに人気が集まるのか、と思うのは私だけでしょうか?
さて、もう1つの理由は、我らが鉄っつぁんです。
鉄郎は強くて優しくて思いやりがあって、かなりいいヤツなのですが、1つだけ不満があります。
お前も男なら惚れた女を手放すな! メーテルみたいな人は男が強引にでも引張って行かなきゃダメだって! ことメーテルのことだけは、なんでそんなに奥手なんだよ!
以上、大変失礼しました。
普段思っていることを書いたら、あ~スッキリした。
そんな若者(男)っていますね。
確かに、父親に学ぶことは多いし、特に大人になってみてはじめて、その気持ちがわかったりしますね。あのときオヤジはこうだったのか、なんてね。男が大人になる醍醐味の一つは、父親を理解できることだと私は思います。
しかしですね、尊敬するなんて馬鹿ですね。男に生まれた意味も無ければ、価値も無い人のやることです。そんな大人しくて、良い子で、平和にどっぷり漬かっている男を見ると、吐き気がします。すぐさま無人島に行って、隠遁生活を送る方がお似合いです。
男にとって父とは、尊敬すべき対象ではありませんし、あってはいけません。まあ、父親が長嶋茂雄だとか、アルベルト・アインシュタインだというなら話は別です。
普通の男にとって、父親とは超えていくべき存在です。それが仕事なのか、「男」としての姿なのか、それは人それぞれでしょうが、最初の目標となるべきものではないでしょうか。それを「尊敬」などと言ってしまったら、そこで終わってしまいます。
その極端な例は、劇場版999・2作目の鉄郎です。
物語の終盤で、鉄郎は黒騎士・ファウスト(父親)と999の屋根上で戦うわけです。実際に銃を使っていたわけですから、まさに真剣勝負です。映画では鉄郎が辛くも(と、私は感じます)勝利していますが、少し状況が違えばファウストが勝っていた、いえ、その確率の方が高かったのでしょう。あれはミャウダーに助けられたようなものですね。
しかし、とにもかくにも、鉄郎は勝ちました。父親を超え、その後メーテルとの悲しい別れがあって、彼は大人になっていくわけです。これぞ「男」の姿だと、私は信じます。
こんなことを言うのも、だらしない男が多するからです。心の底から情けない。
いいですか、男のあるべき姿はエステで磨くものではないし、着飾ることではないのです。いえ、それが悪いと言っているのではない。男がきれいになるのは良いことなのでしょうが、茹でたほうれん草のように萎えた男が多すぎると言っているのです。心の真ん中に芯が通った、強い信念の持ち主が理想だ、と言ったら笑われるでしょうか。
ここで勘違いしていただきたくないのですが、強い男とは乱暴者ではありません。声が大きいとか、腕力の強さが男ではありません。鉄郎やハーロック、トチローのように、強くて優しいのが男と呼ぶのにふさわしい。男の腕力は、弱い者を守るためにあるのです。それを弱い者に向ける愚か者がなんと多いことか。情けないにもほどがある。
などと、今回はやたらと意気込んでいます。理由は2つあって、1つは最近の韓流ブーム(?)です。
詳しいことは知りませんが、あちらの若い男優、男気が出ていていいですね。俳優ですからお顔や服装はきれいにしていますが、どこか男の匂いがします。日本の若い俳優はきれなだけという感じがするのですが、いかがでしょうか? かつての千葉真一さんや夏八木勲さんのような、男を感じさせる人が減りましたよね? だから韓流スターに人気が集まるのか、と思うのは私だけでしょうか?
さて、もう1つの理由は、我らが鉄っつぁんです。
鉄郎は強くて優しくて思いやりがあって、かなりいいヤツなのですが、1つだけ不満があります。
お前も男なら惚れた女を手放すな! メーテルみたいな人は男が強引にでも引張って行かなきゃダメだって! ことメーテルのことだけは、なんでそんなに奥手なんだよ!
以上、大変失礼しました。
普段思っていることを書いたら、あ~スッキリした。
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「斜光不安」というサイトで「世界三大七不思議」というブログをやっています。当ブログは、そこから「999」関連が独立したものです。
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