永遠の名作「銀河鉄道999」について(勝手に)語るブログです。主に劇場版について(好き勝手に)触れています。
2025/07/05 (Sat)
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2012/10/31 (Wed)
さよ銀ふたたび
20年振りに「さよなら銀河鉄道999」をみました。
まったく色あせてないですね。それどころか、ますます素晴らしいと感じます。ここで、高校時代の校長先生の言葉を思い出しました。
「吉田兼好の徒然草、君たちが今読んでもいい作品だと感じるだろう。四十を過ぎてから読むと、また違った感じがするはずだよ」
校長先生は国語の先生でした。かつての教え子たちが、口を揃えて言うのだそうです。
私にとって、これと同じことが999で起きています。私が本当に999に狂いだしたのは高校からなのですが、今、当時とは明らかに違った感慨を持っています。今日はそのうちの一つを書きます。
さて、「さよ銀」は、いきなり戦場からスタートしますね。鉄郎がパルチザンとなっている。よくわからないが、かなり劣勢。映画開始当初、仲間は数十人はいたようですが、戦闘があって5人くらいになる。
若桜木虔さんの小説版「さよなら銀河鉄道999」には、このあたりのことが生々しく描かれています。そうそう、以前当ブログにて、「若桜木さんの小説版さよ銀は、読む価値はあまりない」などと申し上げましたが、ここに訂正します。パルチザンたちの息遣いが聞こえてきそうな描写となっており、鉄郎の命も風前の灯だったんだということが、映画よりもはっきりわかります。鉄郎たちは、かなり追い詰められていたんだと感じました。だから、あのメッセージカードが届いていないか、届くのがもう少し遅かったら、鉄郎は死んでいたでしょう。
さて、少年の頃……って、私が少年の頃ですよ、私にも少年時代があったんですよ。ともかく、本格的に999にハマった頃、私は鉄郎とほぼ同い年でした。当然というか鉄郎目線で物語を見ていたのですが、いくつか理解できない点がありました。
「オヤジたちは、どうして自分の命を捨ててまでして、鉄郎を駅に送り届けてくれたのか」
映画ではそれが心に染みるというか、鉄郎を応援するような雰囲気になっていますね。それはそれで好きだし、いいなぁと思う。でも、自分の、他の誰でもない自分の命を捨てまでして、実の息子でもない少年のために行動できるのだろうか。当然のことながら、批判する気はありません。ただ、実際にこういう場面になった場合、どうなるんだろう? という素朴な疑問です。
今、四十歳を目前にして、オヤジたちの心境がなんとなく理解できるような気分です。もし自分がオヤジの一人としてあの場にいたら、おそらく、いや、間違いなく鉄郎のために銃を手に走るでしょう。
オヤジの一人、森山周一郎さん演じる「じいさん」は「若いというのはいいもんだ。わずかな可能性でも、それにすべてをかけることができる」というようなことを言いますね。そうなんですよね、鉄郎は若者そのもの。それを見せ付けられたら、オジサンは応援したくなりますよ。俺にもお前みたいな時代があった。夢と希望にあふれ、負けることなど考えず、ひたすらに前を見ていた。いいな、お前は若いな。なんてね。
昔はよかった、なんていうセリフは嫌いですが、若いときは確かによかった。悩みがあっても必ずそれを乗り越えるんだという気概があったし、自分が負けるなんてまったく考えませんでした。今はまた違う心持ちになっていて、それはそれでいいと思っていますが、要するにトシくったんですね。
それはともかく、還暦を迎える頃、再び999を見たらどう感じるでしょう?
楽しみです。これでまた、生きていこうって思えます。
まったく色あせてないですね。それどころか、ますます素晴らしいと感じます。ここで、高校時代の校長先生の言葉を思い出しました。
「吉田兼好の徒然草、君たちが今読んでもいい作品だと感じるだろう。四十を過ぎてから読むと、また違った感じがするはずだよ」
校長先生は国語の先生でした。かつての教え子たちが、口を揃えて言うのだそうです。
私にとって、これと同じことが999で起きています。私が本当に999に狂いだしたのは高校からなのですが、今、当時とは明らかに違った感慨を持っています。今日はそのうちの一つを書きます。
さて、「さよ銀」は、いきなり戦場からスタートしますね。鉄郎がパルチザンとなっている。よくわからないが、かなり劣勢。映画開始当初、仲間は数十人はいたようですが、戦闘があって5人くらいになる。
若桜木虔さんの小説版「さよなら銀河鉄道999」には、このあたりのことが生々しく描かれています。そうそう、以前当ブログにて、「若桜木さんの小説版さよ銀は、読む価値はあまりない」などと申し上げましたが、ここに訂正します。パルチザンたちの息遣いが聞こえてきそうな描写となっており、鉄郎の命も風前の灯だったんだということが、映画よりもはっきりわかります。鉄郎たちは、かなり追い詰められていたんだと感じました。だから、あのメッセージカードが届いていないか、届くのがもう少し遅かったら、鉄郎は死んでいたでしょう。
さて、少年の頃……って、私が少年の頃ですよ、私にも少年時代があったんですよ。ともかく、本格的に999にハマった頃、私は鉄郎とほぼ同い年でした。当然というか鉄郎目線で物語を見ていたのですが、いくつか理解できない点がありました。
「オヤジたちは、どうして自分の命を捨ててまでして、鉄郎を駅に送り届けてくれたのか」
映画ではそれが心に染みるというか、鉄郎を応援するような雰囲気になっていますね。それはそれで好きだし、いいなぁと思う。でも、自分の、他の誰でもない自分の命を捨てまでして、実の息子でもない少年のために行動できるのだろうか。当然のことながら、批判する気はありません。ただ、実際にこういう場面になった場合、どうなるんだろう? という素朴な疑問です。
今、四十歳を目前にして、オヤジたちの心境がなんとなく理解できるような気分です。もし自分がオヤジの一人としてあの場にいたら、おそらく、いや、間違いなく鉄郎のために銃を手に走るでしょう。
オヤジの一人、森山周一郎さん演じる「じいさん」は「若いというのはいいもんだ。わずかな可能性でも、それにすべてをかけることができる」というようなことを言いますね。そうなんですよね、鉄郎は若者そのもの。それを見せ付けられたら、オジサンは応援したくなりますよ。俺にもお前みたいな時代があった。夢と希望にあふれ、負けることなど考えず、ひたすらに前を見ていた。いいな、お前は若いな。なんてね。
昔はよかった、なんていうセリフは嫌いですが、若いときは確かによかった。悩みがあっても必ずそれを乗り越えるんだという気概があったし、自分が負けるなんてまったく考えませんでした。今はまた違う心持ちになっていて、それはそれでいいと思っていますが、要するにトシくったんですね。
それはともかく、還暦を迎える頃、再び999を見たらどう感じるでしょう?
楽しみです。これでまた、生きていこうって思えます。
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「斜光不安」というサイトで「世界三大七不思議」というブログをやっています。当ブログは、そこから「999」関連が独立したものです。
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