永遠の名作「銀河鉄道999」について(勝手に)語るブログです。主に劇場版について(好き勝手に)触れています。
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「さよなら銀河鉄道999」についてのコラムを見つけました。編集長(小黒祐一郎さん)が、少々辛口の、しかし実に鋭い考察をされています。
「WEBアニメスタイル」の中のコラム
(第83回『さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅』)
りんたろう監督も「(2作目は)1作目に比べて輝きが足りない」というようなことをおっしゃっていたようですし、先のコラムの意見はもっともなことです。
それでも私は、2作目が好きです。1作目はあくまでも鉄郎の「少年」が、2作目は「青年になるところ」が描かれています。甲乙付けがたいと感じるのは私だけ?
また、まったくの私事ですが、2作目がなかったら今の私はいません。大仰なことを言えば、とうに死んでいたかもしれません。人の生きる道は、巡り合わせですからね。
先のコラムには鋭い、唸ってしまうことがたくさん書かれていますが、1つだけモノ申したい。メタルメナを「体が透明なウェイトレス」としているのはご愛嬌です。クレアと混同しているものと思われます。
さて、コラムの中で「黒騎士ファウストと鉄郎がなぜ戦わなければならないのか、わからない」とあります。この文章の前後にはその背景が書かれていて、その疑問はもっともなことだと感じさせます。ただ、私は初めて「さよ銀」を見たとき、すぐに二人の両立は無いと思いました。
黒騎士ファウストは、言うまでもなく鉄郎の実父(一説には物野正?)ですが、ハーロックにこう言い残していますね。
「この戦いに勝たない限り、私にも鉄郎にも未来はない」
「未来はない」か「明日はない」だったかは忘れました。ともかく、戦いは避けられないと言っているのですね。
どうやら父は、なんとか息子を呼び寄せて一緒に暮らしたいと考えたようです。機械化帝国の素晴らしさを理解させ、親子で過ごしたかったのでしょう。しかし、その結果はご存知のとおりです。鉄郎は黒騎士=実父と知らないにせよ、結局は意思を変えませんでした。最後には、999の屋根で撃ち合いとなります。
ファウストとしては、機械化帝国への崇拝を変えるつもりはない。その意思を貫き通すためには、たとえ相手が実の息子であっても容赦はしない。むしろ、あらためて機械化帝国を否定した息子は、他の誰でもなく自分が始末しなければならない。
もし、ファウストが、「息子だから」と鉄郎を逃すことになったら。いや、ダメですね。おそらくハーロックやトチローが同じ立場なら、ファウストと同じ行動を取ったでしょう。
一方、鉄郎にしても同じです。ファウストが実の父だと知っていたとしても、やはり倒そうとしたでしょうね。それどころか、実父だと知ったらなおのこと戦うでしょう。メーテルがプロメシュームの息の根を止めようとしたように。
しかし嬉しいですね。999についてこれほどまでに真剣に書かれた文章は、かつてよりは少なくなったでしょう。恥ずかしながら、WEBアニメスタイルというサイトも小黒祐一郎さんのことも存知ませんでした。インターネットという文明の利器のおかげですね。
いい時代に生まれました。長生きはすべき、なのかもしれませんね。
「WEBアニメスタイル」の中のコラム
(第83回『さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅』)
りんたろう監督も「(2作目は)1作目に比べて輝きが足りない」というようなことをおっしゃっていたようですし、先のコラムの意見はもっともなことです。
それでも私は、2作目が好きです。1作目はあくまでも鉄郎の「少年」が、2作目は「青年になるところ」が描かれています。甲乙付けがたいと感じるのは私だけ?
また、まったくの私事ですが、2作目がなかったら今の私はいません。大仰なことを言えば、とうに死んでいたかもしれません。人の生きる道は、巡り合わせですからね。
先のコラムには鋭い、唸ってしまうことがたくさん書かれていますが、1つだけモノ申したい。メタルメナを「体が透明なウェイトレス」としているのはご愛嬌です。クレアと混同しているものと思われます。
さて、コラムの中で「黒騎士ファウストと鉄郎がなぜ戦わなければならないのか、わからない」とあります。この文章の前後にはその背景が書かれていて、その疑問はもっともなことだと感じさせます。ただ、私は初めて「さよ銀」を見たとき、すぐに二人の両立は無いと思いました。
黒騎士ファウストは、言うまでもなく鉄郎の実父(一説には物野正?)ですが、ハーロックにこう言い残していますね。
「この戦いに勝たない限り、私にも鉄郎にも未来はない」
「未来はない」か「明日はない」だったかは忘れました。ともかく、戦いは避けられないと言っているのですね。
どうやら父は、なんとか息子を呼び寄せて一緒に暮らしたいと考えたようです。機械化帝国の素晴らしさを理解させ、親子で過ごしたかったのでしょう。しかし、その結果はご存知のとおりです。鉄郎は黒騎士=実父と知らないにせよ、結局は意思を変えませんでした。最後には、999の屋根で撃ち合いとなります。
ファウストとしては、機械化帝国への崇拝を変えるつもりはない。その意思を貫き通すためには、たとえ相手が実の息子であっても容赦はしない。むしろ、あらためて機械化帝国を否定した息子は、他の誰でもなく自分が始末しなければならない。
もし、ファウストが、「息子だから」と鉄郎を逃すことになったら。いや、ダメですね。おそらくハーロックやトチローが同じ立場なら、ファウストと同じ行動を取ったでしょう。
一方、鉄郎にしても同じです。ファウストが実の父だと知っていたとしても、やはり倒そうとしたでしょうね。それどころか、実父だと知ったらなおのこと戦うでしょう。メーテルがプロメシュームの息の根を止めようとしたように。
しかし嬉しいですね。999についてこれほどまでに真剣に書かれた文章は、かつてよりは少なくなったでしょう。恥ずかしながら、WEBアニメスタイルというサイトも小黒祐一郎さんのことも存知ませんでした。インターネットという文明の利器のおかげですね。
いい時代に生まれました。長生きはすべき、なのかもしれませんね。
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劇場版「銀河鉄道999」のエンディングは、メーテルが999号に乗って去っていく、鉄郎が走って追う、ついに999号は走り去る、鉄郎は涙する。だいたいそんな感じですよね。
以前から疑問でしたが、鉄郎の顔(表情)とセリフが合っていません。鉄郎は走り出し、メーテルの乗る客車に追いつきますよね。本当なら、追いつくこと自体が無理でしょうけどね(笑)。鉄郎はかなりの俊足ということになりますし、気のせいか999号自体も速度を落としているように見えます。なんて、それは言わない約束ですって!
ともかく、メーテルの乗る客車に追いついた鉄郎。気付いて窓を開けるメーテル。泣かせるシーンなのですが(今涙目で書いていますヨ)、鉄郎は笑顔に見えます。それに対し、声の調子は今にも泣きそうな感じです。
変ですよね?
あくまでも私の推測ですが、脚本家や演出家(音響監督?)は「笑顔でさわやかに別れる」シーンとしたかったのでは? メーテルは青春の幻影、若い鉄郎はこれから大人になる……というところでしょうか。
それに対し、鉄郎役の野沢雅子さんとしては、どうしても泣きの演技になったのでは?
このエンディングでは二人のマサコ(野沢雅子さん・池田昌子さん)が感極まって涙ぐんだといいます。スタッフももらい泣きしたそうですから、その雰囲気は説明の必要がないですよね。
それに、「一緒に暮らしてほしい」とまで言った相手と別れるんですよ。笑顔でいる方が不自然です。その証拠に、999号が去ってから鉄郎は涙していますよね。野沢さんの「悲しそうな声」が正解ですよね?
まあ、細かいことは気にするなって話です。
「ローマの休日」だって、おかしな点があるようですよ。スペイン広場(だったかな?)のシーンでは、背後の時計台の時刻が不自然に変化していました。二人はローマ市内を観光していますが、実際にはかなり厳しいスケジュールだとか。
でも、どうでもいいことです。「ローマの休日」が名作であることには変わりありません。
そういえば、アン王女(オードリー・ヘップバーン)の吹替えは池田昌子さんですね。
劇場版「銀河鉄道999」のエンディングで、二人のマサコが涙した話の補足です。
ご存知の方はご存知でしょうが、劇場版999が一番最初に結末に達しています。つまり、劇場版999公開時点では、原作もテレビ版も連載中・放映中だったわけです。にもかかわらず劇場版は、999号の最終駅やメーテルの(ある程度の)正体を明かしてしまったわけです。
一方、二人のマサコにしてみれば、テレビ版で長くコンビを組んできた。お互いに嫉妬しあったこともあった。その999が結末を迎え、メーテルと鉄郎が別れる。これで泣かずにいられますか?
あの、もしかして涙しているのは私だけ? 一人で熱くなって語っているだけ?
以前から疑問でしたが、鉄郎の顔(表情)とセリフが合っていません。鉄郎は走り出し、メーテルの乗る客車に追いつきますよね。本当なら、追いつくこと自体が無理でしょうけどね(笑)。鉄郎はかなりの俊足ということになりますし、気のせいか999号自体も速度を落としているように見えます。なんて、それは言わない約束ですって!
ともかく、メーテルの乗る客車に追いついた鉄郎。気付いて窓を開けるメーテル。泣かせるシーンなのですが(今涙目で書いていますヨ)、鉄郎は笑顔に見えます。それに対し、声の調子は今にも泣きそうな感じです。
変ですよね?
あくまでも私の推測ですが、脚本家や演出家(音響監督?)は「笑顔でさわやかに別れる」シーンとしたかったのでは? メーテルは青春の幻影、若い鉄郎はこれから大人になる……というところでしょうか。
それに対し、鉄郎役の野沢雅子さんとしては、どうしても泣きの演技になったのでは?
このエンディングでは二人のマサコ(野沢雅子さん・池田昌子さん)が感極まって涙ぐんだといいます。スタッフももらい泣きしたそうですから、その雰囲気は説明の必要がないですよね。
それに、「一緒に暮らしてほしい」とまで言った相手と別れるんですよ。笑顔でいる方が不自然です。その証拠に、999号が去ってから鉄郎は涙していますよね。野沢さんの「悲しそうな声」が正解ですよね?
まあ、細かいことは気にするなって話です。
「ローマの休日」だって、おかしな点があるようですよ。スペイン広場(だったかな?)のシーンでは、背後の時計台の時刻が不自然に変化していました。二人はローマ市内を観光していますが、実際にはかなり厳しいスケジュールだとか。
でも、どうでもいいことです。「ローマの休日」が名作であることには変わりありません。
そういえば、アン王女(オードリー・ヘップバーン)の吹替えは池田昌子さんですね。
劇場版「銀河鉄道999」のエンディングで、二人のマサコが涙した話の補足です。
ご存知の方はご存知でしょうが、劇場版999が一番最初に結末に達しています。つまり、劇場版999公開時点では、原作もテレビ版も連載中・放映中だったわけです。にもかかわらず劇場版は、999号の最終駅やメーテルの(ある程度の)正体を明かしてしまったわけです。
一方、二人のマサコにしてみれば、テレビ版で長くコンビを組んできた。お互いに嫉妬しあったこともあった。その999が結末を迎え、メーテルと鉄郎が別れる。これで泣かずにいられますか?
あの、もしかして涙しているのは私だけ? 一人で熱くなって語っているだけ?
食堂車に行ったことはありますか。
今の日本では希少なものになりましたね。新幹線には連結されていないようですし、食堂車で食べたいと思ったら少し苦労するかもしれません。列車の高速化により乗車時間が短縮(列車内で食事する必要性が薄れる)、駅弁の発達、高速道路や飛行機の躍進、食堂車が廃れてしまったのも、致し方ないのかもしれません。
さて、今回は999の食堂車について考察してまいります。
「銀河鉄道999」がこの世に出たのは1977年(昭和52年)だそうですから、今から35年前ですね。当然ながら、インターネットも携帯電話もなく、家庭の電話はNTTでなく電電公社の黒電話、コードレス電話もなく、それどころかテレフォンカードもなかったですよね。999の食堂車を考えるとき、このような時代背景に目を向ける必要がありそうです。
当時は飛行機や自動車よりも、長距離列車への依存度が高かったのではないでしょうか。たとえば東京から札幌に行く場合、飛行機よりも寝台車(そして青函連絡船)を利用することが、今よりは多かったのかもしれない。食堂車も普通にあったのかもしれませんし、乗客もそこで食事するのが普通だったのでしょうか。
また、鉄郎は食堂車でビフテキを食べていますが、当時(昭和50年代)は値段の張るものだったはずです。今でも安価な食べ物ではないですし、ましてや当時は牛肉自由化の前です。ビフテキ=なかなか食べられないご馳走というイメージが、今よりももっと強かったのではないでしょうか。私事ですが、自宅で牛肉料理、例えばすき焼きを食べたのは、おそらく原作の鉄郎より年上になってからです。
さらに、このあたりは原作者・松本零士氏の思想が色濃く反映されているのでしょう。999のグルメといえば、ラーメンがありますよね。特に原作では、合成でなく本物のラーメンを前に鉄郎が涙ぐむシーンさえあります。「人類の口の永遠の友」だ、と。松本氏はインタビューか何かで、「一杯のラーメンをご馳走と思えない人はだめだ」というようなことを言っていました。おそらく、いわゆるハングリー精神の重要性を説いているのでしょうね。
男性の皆様。目を閉じてください。中学生くらいのときの自分にもどってください。
今、慣れない高級そうな場所、食堂車の席に着いている。目の前には長髪の、25歳くらいの美しい女性がいる。そればかりか、やはり美人で性格もいいウェイトレスに、突然手を握られた。
「あなたの手、暖かい……」
どうです? 胸がキュンとなりませんか?(笑)
あくまで想像ですが、鉄郎クンが初めて触れた異性は、クレアだったのかもしれません。「握られた」のは間違いなくクレアでしょう。
話が逸れました。
ネットで食堂車を調べていたら、ある写真を目にしました。おそらく昭和50年前後の、当時の食堂車で食事をする男の子の姿です。おそらく夏休みか何かで、どこかにお出かけの途中でしょう。長距離列車、それも寝台車という可能性もあります。男の子は興奮気味に乗車し、そして食堂車も楽しい想い出となったのでしょう。
そうした古いものは失われていくのですね。その代わり、効率化、合理化の名のもとに、便利になっていきます。懐古主義に浸りたくはありませんが、文明の進化と同時に何かを失ったということです。山田洋次さんは「形あるものは、いつか目の前から消えていく」というようなことをおっしゃったようです。
消え行くものに感じる寂しさが、一段と強いものになりました。私もトシをとりましたね。
今の日本では希少なものになりましたね。新幹線には連結されていないようですし、食堂車で食べたいと思ったら少し苦労するかもしれません。列車の高速化により乗車時間が短縮(列車内で食事する必要性が薄れる)、駅弁の発達、高速道路や飛行機の躍進、食堂車が廃れてしまったのも、致し方ないのかもしれません。
さて、今回は999の食堂車について考察してまいります。
「銀河鉄道999」がこの世に出たのは1977年(昭和52年)だそうですから、今から35年前ですね。当然ながら、インターネットも携帯電話もなく、家庭の電話はNTTでなく電電公社の黒電話、コードレス電話もなく、それどころかテレフォンカードもなかったですよね。999の食堂車を考えるとき、このような時代背景に目を向ける必要がありそうです。
当時は飛行機や自動車よりも、長距離列車への依存度が高かったのではないでしょうか。たとえば東京から札幌に行く場合、飛行機よりも寝台車(そして青函連絡船)を利用することが、今よりは多かったのかもしれない。食堂車も普通にあったのかもしれませんし、乗客もそこで食事するのが普通だったのでしょうか。
また、鉄郎は食堂車でビフテキを食べていますが、当時(昭和50年代)は値段の張るものだったはずです。今でも安価な食べ物ではないですし、ましてや当時は牛肉自由化の前です。ビフテキ=なかなか食べられないご馳走というイメージが、今よりももっと強かったのではないでしょうか。私事ですが、自宅で牛肉料理、例えばすき焼きを食べたのは、おそらく原作の鉄郎より年上になってからです。
さらに、このあたりは原作者・松本零士氏の思想が色濃く反映されているのでしょう。999のグルメといえば、ラーメンがありますよね。特に原作では、合成でなく本物のラーメンを前に鉄郎が涙ぐむシーンさえあります。「人類の口の永遠の友」だ、と。松本氏はインタビューか何かで、「一杯のラーメンをご馳走と思えない人はだめだ」というようなことを言っていました。おそらく、いわゆるハングリー精神の重要性を説いているのでしょうね。
男性の皆様。目を閉じてください。中学生くらいのときの自分にもどってください。
今、慣れない高級そうな場所、食堂車の席に着いている。目の前には長髪の、25歳くらいの美しい女性がいる。そればかりか、やはり美人で性格もいいウェイトレスに、突然手を握られた。
「あなたの手、暖かい……」
どうです? 胸がキュンとなりませんか?(笑)
あくまで想像ですが、鉄郎クンが初めて触れた異性は、クレアだったのかもしれません。「握られた」のは間違いなくクレアでしょう。
話が逸れました。
ネットで食堂車を調べていたら、ある写真を目にしました。おそらく昭和50年前後の、当時の食堂車で食事をする男の子の姿です。おそらく夏休みか何かで、どこかにお出かけの途中でしょう。長距離列車、それも寝台車という可能性もあります。男の子は興奮気味に乗車し、そして食堂車も楽しい想い出となったのでしょう。
そうした古いものは失われていくのですね。その代わり、効率化、合理化の名のもとに、便利になっていきます。懐古主義に浸りたくはありませんが、文明の進化と同時に何かを失ったということです。山田洋次さんは「形あるものは、いつか目の前から消えていく」というようなことをおっしゃったようです。
消え行くものに感じる寂しさが、一段と強いものになりました。私もトシをとりましたね。
※今回も声優ネタが出ます。申し訳ありませんが、堪えてください。
ディアゴスティーニの分冊百科「銀河鉄道999」。先日、2冊目に付いているDVDをやっとみました。大盗賊アンタレスと、迷いの星・冥王星、彗星図書館といった話でした。
アンタレスは、劇場版と性格も外見も違いますね。同じなのは、盗賊家業をしていること、多くの子供の面倒を見ていることです。声もテレビ版は今西正男さん、劇場版は久松保男さんです。どちらも渋くて奥深い演技を聞かせてくれます。それにしてもテレビ版では、アンタレスがメーテルにプロポーズ(?)して驚きです。あっさりかわすメーテルもまた良いですね。
冥王星といえば、メーテルが氷の墓で泣くシーンですね。どうやら昔の自分の体を見ているらしい、と思わせるわけですが、私はいつも別の心配をしています。ご存知のとおりメーテルは長髪ですが、氷の地面に髪の毛が付いています。間違って氷に張り付かないのかと、気が気ではないのですよ。髪の毛は劇場版の方が長いようで、心配も天井まで届こうかというものです。髪が張り付いてアタフタするメーテルを想像して……すいません、反省します。
さて、冥王星の重大イベント(?)として、到着前に車中が寒くなりメーテルが鉄郎を懐で暖める、という場面。なぜテレビ版ではカットされたのでしょうね。メーテルの優しさや、鉄郎くんの恥ずかしがるところがいいのに。
次に氷の墓の番人、シャドウです。テレビ版の声は信沢三恵子さん(未来少年コナンでラナを演じた方)、劇場版では藤田淑子さんです。個人的には、藤田・シャドウが好きですね。単に聞きなれているというのもありますが、藤田さんの声が好きだからかな? 藤田さんのキテレツも良かったし。関係ありませんが、歌手の大和田りつ子さんと藤田さんの声が似ていると感じるのは私だけ?
それにしても、テレビ版のシャドウはかなり陰湿ですね。鉄郎をおびき出すために、加奈江(鉄郎の母)に化けています。人の弱みというか、痛いところを利用するなんざ、鉄郎が怒るのも無理ないですね。それに対し、
「女というものは、自分の美しかったときを拠り所にして生きていくもの」
とかなんとかメーテルは言っています。すいません、外で書いているため正確性に欠けます。
彗星図書館では、鉄郎にケガを負わせる男に古川登志夫さん、悪徳医者にはせさん治さんという組み合わせです。はせさん治さんはすぐにわかったのですが、古川さんはクレジットを見るまで自信がありませんでした。森功至さんか古川さんか、かなり迷いました。古川さんとしては低い声を使ったようです。
はせさん治さんというと、「サイボーグ009」(昭和のカラー版)の006(張々湖)が思い浮かびます。そうか、007(グレート・ブリテン)は肝付兼太さん(車掌さん)ですから、思わぬ(?)競演なんですね。
また、断言はできませんが、深夜放送のCMではせさんが顔出しで出演されていた記憶があります。詳細は覚えていませんが、宴会場か飲食店のローカルCMでした。宴会の主賓の目線で撮られており、はせさんが会場まで案内をするというものです。ずっとはせさんがカメラ目線で話しかけてきます。「みなさん待ちかねですよ~」「今夜は盛り上がりますよ~」と言っていたような。あの明るい声が聞けないと思うと、残念です。
さて、古川さん。代表作は「うる星やつら」のあたる、「Drスランプ・アラレちゃん」の空豆タロウ、「機動戦士ガンダム」のカイ・シデン、「ドラゴンボール」シリーズのピッコロでしょうか。個人的にはピッコロがベストボイスです。
それと、20年くらい前に水道橋駅近くの研数学館(予備校)に通っていた頃……水道橋について念のためご説明します。早い話、東京ドームの最寄駅です。
ともかく、水道橋駅を出て白山通り(あ~ローカルだなぁ)を南に行くと、トンカツ屋さんがありました。階段を上がって2階に店舗があったような気がします。昼頃になると呼び込みの放送が流れるのですが、何度聞いても古川さんの声でした。
「モリモリはっぴーとんかつ村!」
というわけで、私にとっては古川登志夫さん=とんかつです。
私のように「声」を中心にアニメや洋画(吹替え)を見ている方はいらっしゃいますか? やはり私だけですか?
ディアゴスティーニの分冊百科「銀河鉄道999」。先日、2冊目に付いているDVDをやっとみました。大盗賊アンタレスと、迷いの星・冥王星、彗星図書館といった話でした。
アンタレスは、劇場版と性格も外見も違いますね。同じなのは、盗賊家業をしていること、多くの子供の面倒を見ていることです。声もテレビ版は今西正男さん、劇場版は久松保男さんです。どちらも渋くて奥深い演技を聞かせてくれます。それにしてもテレビ版では、アンタレスがメーテルにプロポーズ(?)して驚きです。あっさりかわすメーテルもまた良いですね。
冥王星といえば、メーテルが氷の墓で泣くシーンですね。どうやら昔の自分の体を見ているらしい、と思わせるわけですが、私はいつも別の心配をしています。ご存知のとおりメーテルは長髪ですが、氷の地面に髪の毛が付いています。間違って氷に張り付かないのかと、気が気ではないのですよ。髪の毛は劇場版の方が長いようで、心配も天井まで届こうかというものです。髪が張り付いてアタフタするメーテルを想像して……すいません、反省します。
さて、冥王星の重大イベント(?)として、到着前に車中が寒くなりメーテルが鉄郎を懐で暖める、という場面。なぜテレビ版ではカットされたのでしょうね。メーテルの優しさや、鉄郎くんの恥ずかしがるところがいいのに。
次に氷の墓の番人、シャドウです。テレビ版の声は信沢三恵子さん(未来少年コナンでラナを演じた方)、劇場版では藤田淑子さんです。個人的には、藤田・シャドウが好きですね。単に聞きなれているというのもありますが、藤田さんの声が好きだからかな? 藤田さんのキテレツも良かったし。関係ありませんが、歌手の大和田りつ子さんと藤田さんの声が似ていると感じるのは私だけ?
それにしても、テレビ版のシャドウはかなり陰湿ですね。鉄郎をおびき出すために、加奈江(鉄郎の母)に化けています。人の弱みというか、痛いところを利用するなんざ、鉄郎が怒るのも無理ないですね。それに対し、
「女というものは、自分の美しかったときを拠り所にして生きていくもの」
とかなんとかメーテルは言っています。すいません、外で書いているため正確性に欠けます。
彗星図書館では、鉄郎にケガを負わせる男に古川登志夫さん、悪徳医者にはせさん治さんという組み合わせです。はせさん治さんはすぐにわかったのですが、古川さんはクレジットを見るまで自信がありませんでした。森功至さんか古川さんか、かなり迷いました。古川さんとしては低い声を使ったようです。
はせさん治さんというと、「サイボーグ009」(昭和のカラー版)の006(張々湖)が思い浮かびます。そうか、007(グレート・ブリテン)は肝付兼太さん(車掌さん)ですから、思わぬ(?)競演なんですね。
また、断言はできませんが、深夜放送のCMではせさんが顔出しで出演されていた記憶があります。詳細は覚えていませんが、宴会場か飲食店のローカルCMでした。宴会の主賓の目線で撮られており、はせさんが会場まで案内をするというものです。ずっとはせさんがカメラ目線で話しかけてきます。「みなさん待ちかねですよ~」「今夜は盛り上がりますよ~」と言っていたような。あの明るい声が聞けないと思うと、残念です。
さて、古川さん。代表作は「うる星やつら」のあたる、「Drスランプ・アラレちゃん」の空豆タロウ、「機動戦士ガンダム」のカイ・シデン、「ドラゴンボール」シリーズのピッコロでしょうか。個人的にはピッコロがベストボイスです。
それと、20年くらい前に水道橋駅近くの研数学館(予備校)に通っていた頃……水道橋について念のためご説明します。早い話、東京ドームの最寄駅です。
ともかく、水道橋駅を出て白山通り(あ~ローカルだなぁ)を南に行くと、トンカツ屋さんがありました。階段を上がって2階に店舗があったような気がします。昼頃になると呼び込みの放送が流れるのですが、何度聞いても古川さんの声でした。
「モリモリはっぴーとんかつ村!」
というわけで、私にとっては古川登志夫さん=とんかつです。
私のように「声」を中心にアニメや洋画(吹替え)を見ている方はいらっしゃいますか? やはり私だけですか?
※(鳥坂先輩=神谷明さんの声で)トライXで万全! 逆光は勝利! 今回も声優ネタが続出するぞ、心して読むやうに!
ディアゴスティーニの分冊999ですが、ようやく創刊号のDVDを観ました。33年ぶりのテレビ版です。ディスクをセットする手が震えたような。一人静かに再生されるのを待ちます。オープニングは何度か観たので、普通にしていられました。いよいよ物語が始まる。さあ、メガロポリスが登場。次に雪の中、星野親子が……。
白状しますと、まったく覚えていませんでした。星野加奈江(鉄郎の母)が撃たれる場面も、映画版と原作の記憶しかありません。10歳の鉄郎にしても、「こんな顔だっけ?」と初対面のような感覚です。退屈しのぎに999の機関車を見に行くことになり、子供のように(子供ですが)はしゃぐ鉄郎には強い違和感がありました。
しかし、何よりも驚いたのはメーテルです。劇場版では、かなり、大幅に変わっているのですね。特に目です。テレビ版のメーテルは「隣のお姉さん」で、劇場版は「学校一番の美人で、決して近寄れない憧れ」というところでしょうか。さらに、謎めいて神秘的な雰囲気が劇場版では追加されています。
30年位前の座談(石丸博也さん、滝沢久美子さん、麻上洋子さん、塩屋翼さん)で、麻上さんが999のアフレコについて触れていました。
「999は99%の絵がありました。アフレコに間に合わせようと、スタッフの方々が大変な努力をされたようです」
それに対し、塩屋さんは
「ガッチャマンは99%の絵が……無かった(笑)」
ここで、この会話の背景を(ご存知かもしれませんが)ご説明します。
いわゆる声優がキャラクターのセリフを喋り、それを録音するわけです。基本は実際のアニメーションの動きに合わせて演技するのですが、そうです、これは原則です。今はわかりませんが、かつてのアニメーションは作画が間に合わず、声優は映像無しで、合図等だけでアフレコに臨むこともありました。それでもきちんと合わせるのですから、まさに神業です。
これらは製作側の怠惰ではありません。作画作業がはてしなく重労働だからです。かなり乱暴な言い方ですが、アニメはパラパラ・マンガの要領です。そのためには、大量のセル画が必要です。私は詳細を知りませんが、基本的にセルに色を塗る作業は手でやっていたようです。テレビアニメ1本で、平均4000枚のセルを使うのでしたっけ? 手元にはありませんが、藤井青銅さんの「愛と青春のサンバイマン」という小説の中で、放送予定のセル画が盗まれ、残った1000枚で無理矢理放映する話があります。
また、かつての知人はアニメーターでしたが、連日につぐ徹夜で倒れ、数日間も意識が戻らなかったそうです。先の塩屋さんの言葉もあります。
「タツノコプロ(ガッチャマンやタイムボカンシリーズで有名)のスタッフと野球の試合をしたんですよ。会社の隣にプレハブができてて、これ何ですかってきいたら、徹夜が続くから仮眠用に作ったって」
またまた話が逸れますが、「パタリロ!」(後の「ぼくパタリロ!」)の主人公をアテた白石冬美さんは、原作者・魔夜峰央さんとの対談で面白いことを言っています。アドリブはしないんですか、という魔夜さんの問いに
「(パタリロ!製作の)スタッフは、かつて銀河鉄道999を作った方々なんです。アドリブなんて、できません」
999が火星に降り立つ話で、ゼロニモとフィーメという男女が出てきます。フィーメは杉山桂寿子さんだとすぐわかったのですが、はてゼロニモは? エンディングのスタッフロールで井上和彦さんと判明。ははぁ、サイボーグ009(昭和のカラー版)の003=フランソワと009=島村ジョーではないか。酒場のオヤジは槐柳二さん(劇場版でヘヴィーメルダーの酒場のオヤジ)。渋いですねぇ。
最後に声優ネタをもう一つ。
テレビ版第1話「旅立ちのバラード」で、メーテルと鉄郎が高級ホテルのようなところにいる場面。劇場版にも出てきますね。メーテルがシャワーを浴びる。「話し声が聞こえる」という名目で鉄郎ちゃんは浴室を覗くという、うらやましい、じゃなかった、とんでもないことの後に、警察がやってきます。その警察官、よく聞くと肝付兼太さん=車掌さんです。
脇役キャラの声優が、他のキャラをアテるのはよくあることです。ただ、当時、一部のファンはこう思ったそうです。
「肝付さんがザコキャラをやるわけがない。きっと第2話以降にレギュラーで登場するな」
お後がよろしいようで。
ディアゴスティーニの分冊999ですが、ようやく創刊号のDVDを観ました。33年ぶりのテレビ版です。ディスクをセットする手が震えたような。一人静かに再生されるのを待ちます。オープニングは何度か観たので、普通にしていられました。いよいよ物語が始まる。さあ、メガロポリスが登場。次に雪の中、星野親子が……。
白状しますと、まったく覚えていませんでした。星野加奈江(鉄郎の母)が撃たれる場面も、映画版と原作の記憶しかありません。10歳の鉄郎にしても、「こんな顔だっけ?」と初対面のような感覚です。退屈しのぎに999の機関車を見に行くことになり、子供のように(子供ですが)はしゃぐ鉄郎には強い違和感がありました。
しかし、何よりも驚いたのはメーテルです。劇場版では、かなり、大幅に変わっているのですね。特に目です。テレビ版のメーテルは「隣のお姉さん」で、劇場版は「学校一番の美人で、決して近寄れない憧れ」というところでしょうか。さらに、謎めいて神秘的な雰囲気が劇場版では追加されています。
30年位前の座談(石丸博也さん、滝沢久美子さん、麻上洋子さん、塩屋翼さん)で、麻上さんが999のアフレコについて触れていました。
「999は99%の絵がありました。アフレコに間に合わせようと、スタッフの方々が大変な努力をされたようです」
それに対し、塩屋さんは
「ガッチャマンは99%の絵が……無かった(笑)」
ここで、この会話の背景を(ご存知かもしれませんが)ご説明します。
いわゆる声優がキャラクターのセリフを喋り、それを録音するわけです。基本は実際のアニメーションの動きに合わせて演技するのですが、そうです、これは原則です。今はわかりませんが、かつてのアニメーションは作画が間に合わず、声優は映像無しで、合図等だけでアフレコに臨むこともありました。それでもきちんと合わせるのですから、まさに神業です。
これらは製作側の怠惰ではありません。作画作業がはてしなく重労働だからです。かなり乱暴な言い方ですが、アニメはパラパラ・マンガの要領です。そのためには、大量のセル画が必要です。私は詳細を知りませんが、基本的にセルに色を塗る作業は手でやっていたようです。テレビアニメ1本で、平均4000枚のセルを使うのでしたっけ? 手元にはありませんが、藤井青銅さんの「愛と青春のサンバイマン」という小説の中で、放送予定のセル画が盗まれ、残った1000枚で無理矢理放映する話があります。
また、かつての知人はアニメーターでしたが、連日につぐ徹夜で倒れ、数日間も意識が戻らなかったそうです。先の塩屋さんの言葉もあります。
「タツノコプロ(ガッチャマンやタイムボカンシリーズで有名)のスタッフと野球の試合をしたんですよ。会社の隣にプレハブができてて、これ何ですかってきいたら、徹夜が続くから仮眠用に作ったって」
またまた話が逸れますが、「パタリロ!」(後の「ぼくパタリロ!」)の主人公をアテた白石冬美さんは、原作者・魔夜峰央さんとの対談で面白いことを言っています。アドリブはしないんですか、という魔夜さんの問いに
「(パタリロ!製作の)スタッフは、かつて銀河鉄道999を作った方々なんです。アドリブなんて、できません」
999が火星に降り立つ話で、ゼロニモとフィーメという男女が出てきます。フィーメは杉山桂寿子さんだとすぐわかったのですが、はてゼロニモは? エンディングのスタッフロールで井上和彦さんと判明。ははぁ、サイボーグ009(昭和のカラー版)の003=フランソワと009=島村ジョーではないか。酒場のオヤジは槐柳二さん(劇場版でヘヴィーメルダーの酒場のオヤジ)。渋いですねぇ。
最後に声優ネタをもう一つ。
テレビ版第1話「旅立ちのバラード」で、メーテルと鉄郎が高級ホテルのようなところにいる場面。劇場版にも出てきますね。メーテルがシャワーを浴びる。「話し声が聞こえる」という名目で鉄郎ちゃんは浴室を覗くという、うらやましい、じゃなかった、とんでもないことの後に、警察がやってきます。その警察官、よく聞くと肝付兼太さん=車掌さんです。
脇役キャラの声優が、他のキャラをアテるのはよくあることです。ただ、当時、一部のファンはこう思ったそうです。
「肝付さんがザコキャラをやるわけがない。きっと第2話以降にレギュラーで登場するな」
お後がよろしいようで。
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