永遠の名作「銀河鉄道999」について(勝手に)語るブログです。主に劇場版について(好き勝手に)触れています。
2025/07/04 (Fri)
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2012/10/31 (Wed)
食堂車
食堂車に行ったことはありますか。
今の日本では希少なものになりましたね。新幹線には連結されていないようですし、食堂車で食べたいと思ったら少し苦労するかもしれません。列車の高速化により乗車時間が短縮(列車内で食事する必要性が薄れる)、駅弁の発達、高速道路や飛行機の躍進、食堂車が廃れてしまったのも、致し方ないのかもしれません。
さて、今回は999の食堂車について考察してまいります。
「銀河鉄道999」がこの世に出たのは1977年(昭和52年)だそうですから、今から35年前ですね。当然ながら、インターネットも携帯電話もなく、家庭の電話はNTTでなく電電公社の黒電話、コードレス電話もなく、それどころかテレフォンカードもなかったですよね。999の食堂車を考えるとき、このような時代背景に目を向ける必要がありそうです。
当時は飛行機や自動車よりも、長距離列車への依存度が高かったのではないでしょうか。たとえば東京から札幌に行く場合、飛行機よりも寝台車(そして青函連絡船)を利用することが、今よりは多かったのかもしれない。食堂車も普通にあったのかもしれませんし、乗客もそこで食事するのが普通だったのでしょうか。
また、鉄郎は食堂車でビフテキを食べていますが、当時(昭和50年代)は値段の張るものだったはずです。今でも安価な食べ物ではないですし、ましてや当時は牛肉自由化の前です。ビフテキ=なかなか食べられないご馳走というイメージが、今よりももっと強かったのではないでしょうか。私事ですが、自宅で牛肉料理、例えばすき焼きを食べたのは、おそらく原作の鉄郎より年上になってからです。
さらに、このあたりは原作者・松本零士氏の思想が色濃く反映されているのでしょう。999のグルメといえば、ラーメンがありますよね。特に原作では、合成でなく本物のラーメンを前に鉄郎が涙ぐむシーンさえあります。「人類の口の永遠の友」だ、と。松本氏はインタビューか何かで、「一杯のラーメンをご馳走と思えない人はだめだ」というようなことを言っていました。おそらく、いわゆるハングリー精神の重要性を説いているのでしょうね。
男性の皆様。目を閉じてください。中学生くらいのときの自分にもどってください。
今、慣れない高級そうな場所、食堂車の席に着いている。目の前には長髪の、25歳くらいの美しい女性がいる。そればかりか、やはり美人で性格もいいウェイトレスに、突然手を握られた。
「あなたの手、暖かい……」
どうです? 胸がキュンとなりませんか?(笑)
あくまで想像ですが、鉄郎クンが初めて触れた異性は、クレアだったのかもしれません。「握られた」のは間違いなくクレアでしょう。
話が逸れました。
ネットで食堂車を調べていたら、ある写真を目にしました。おそらく昭和50年前後の、当時の食堂車で食事をする男の子の姿です。おそらく夏休みか何かで、どこかにお出かけの途中でしょう。長距離列車、それも寝台車という可能性もあります。男の子は興奮気味に乗車し、そして食堂車も楽しい想い出となったのでしょう。
そうした古いものは失われていくのですね。その代わり、効率化、合理化の名のもとに、便利になっていきます。懐古主義に浸りたくはありませんが、文明の進化と同時に何かを失ったということです。山田洋次さんは「形あるものは、いつか目の前から消えていく」というようなことをおっしゃったようです。
消え行くものに感じる寂しさが、一段と強いものになりました。私もトシをとりましたね。
今の日本では希少なものになりましたね。新幹線には連結されていないようですし、食堂車で食べたいと思ったら少し苦労するかもしれません。列車の高速化により乗車時間が短縮(列車内で食事する必要性が薄れる)、駅弁の発達、高速道路や飛行機の躍進、食堂車が廃れてしまったのも、致し方ないのかもしれません。
さて、今回は999の食堂車について考察してまいります。
「銀河鉄道999」がこの世に出たのは1977年(昭和52年)だそうですから、今から35年前ですね。当然ながら、インターネットも携帯電話もなく、家庭の電話はNTTでなく電電公社の黒電話、コードレス電話もなく、それどころかテレフォンカードもなかったですよね。999の食堂車を考えるとき、このような時代背景に目を向ける必要がありそうです。
当時は飛行機や自動車よりも、長距離列車への依存度が高かったのではないでしょうか。たとえば東京から札幌に行く場合、飛行機よりも寝台車(そして青函連絡船)を利用することが、今よりは多かったのかもしれない。食堂車も普通にあったのかもしれませんし、乗客もそこで食事するのが普通だったのでしょうか。
また、鉄郎は食堂車でビフテキを食べていますが、当時(昭和50年代)は値段の張るものだったはずです。今でも安価な食べ物ではないですし、ましてや当時は牛肉自由化の前です。ビフテキ=なかなか食べられないご馳走というイメージが、今よりももっと強かったのではないでしょうか。私事ですが、自宅で牛肉料理、例えばすき焼きを食べたのは、おそらく原作の鉄郎より年上になってからです。
さらに、このあたりは原作者・松本零士氏の思想が色濃く反映されているのでしょう。999のグルメといえば、ラーメンがありますよね。特に原作では、合成でなく本物のラーメンを前に鉄郎が涙ぐむシーンさえあります。「人類の口の永遠の友」だ、と。松本氏はインタビューか何かで、「一杯のラーメンをご馳走と思えない人はだめだ」というようなことを言っていました。おそらく、いわゆるハングリー精神の重要性を説いているのでしょうね。
男性の皆様。目を閉じてください。中学生くらいのときの自分にもどってください。
今、慣れない高級そうな場所、食堂車の席に着いている。目の前には長髪の、25歳くらいの美しい女性がいる。そればかりか、やはり美人で性格もいいウェイトレスに、突然手を握られた。
「あなたの手、暖かい……」
どうです? 胸がキュンとなりませんか?(笑)
あくまで想像ですが、鉄郎クンが初めて触れた異性は、クレアだったのかもしれません。「握られた」のは間違いなくクレアでしょう。
話が逸れました。
ネットで食堂車を調べていたら、ある写真を目にしました。おそらく昭和50年前後の、当時の食堂車で食事をする男の子の姿です。おそらく夏休みか何かで、どこかにお出かけの途中でしょう。長距離列車、それも寝台車という可能性もあります。男の子は興奮気味に乗車し、そして食堂車も楽しい想い出となったのでしょう。
そうした古いものは失われていくのですね。その代わり、効率化、合理化の名のもとに、便利になっていきます。懐古主義に浸りたくはありませんが、文明の進化と同時に何かを失ったということです。山田洋次さんは「形あるものは、いつか目の前から消えていく」というようなことをおっしゃったようです。
消え行くものに感じる寂しさが、一段と強いものになりました。私もトシをとりましたね。
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「斜光不安」というサイトで「世界三大七不思議」というブログをやっています。当ブログは、そこから「999」関連が独立したものです。
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